50歳を過ぎたので。

以前、古田敦也氏が言っていた。「50歳過ぎたら、高田純次になりたい」と。この発言を耳にした高田氏は「俺も60過ぎたら、古田敦也になりたいと思っているんだけどね」と言った。
 


随分と前のことだけど、「適当論」を読んで、高田氏がとてもバランスのとれた人だということを知った。それは精神科医の和田先生が太鼓判を押すほどだ。



一番大事なことはバランスだと高田氏も言う。テキトー男とか適当過ぎとか言われるけど、適当という言葉には、程よいことと言う意味があり、不適当や不適切の対義語だ。



そんなテキトー高田純次氏の好きな言葉



「禍福は糾える縄の如し」







親のことや実家の管理などのため、隔月の帰省生活を始めて1年以上が経過した。全然大変じゃないと言えば嘘になる。だけど帰省には楽しいこともある。美味しいものも食べられるし、たまには友だちに会うこともできる。
 


人生、いいこともあれば悪いこともある。いいことも悪いことも、それはより合わせた縄のように交互にやってくる。いいことの次には悪いこと、悪いことの次にはいいこと、ってな感じに。きっと、人生はその繰り返し。






幸福と不幸は交互にやってくる。だから生きているということがあれば、死んじゃうこともあるよね。
   by高田純次





毎日寒い。でも、この寒さを越えたら次は暖かな春がやってくる。




てな訳で、50歳をとうに過ぎたので、わたしも高田純次のように、











適当に生きています。