入院中の母と面会した日は、前日とは打って変わって猛吹雪だった。病棟からなかなか降りてこない母を待つ間、窓の外で横殴りに降る雪を見ながら私は何度もため息をついた。
昨年末には私と並んでスタスタと歩いていた母は、ナースに車椅子を押されて現れた。
母は私を見るなり、今にも泣きそうな顔になった。そして何か言いたげに口を動かした。私の名前はわからないけど、よく知っている近しいひとという認識はあるみたいで、だんだんと笑顔になっていった。
入所していた施設での徘徊や不穏を抑えるため使われていた薬の影響だろうか、母は歩くことも自分で食事を摂ることもできなくなっていた。
このままいくと直ぐに誤嚥性肺炎になってしまうと思った。歩くことも、話すことも、とても大切なことなのに、施設で生活するにはそれすらも難しいみたいだ。
四年前、妹と私で、母を連れて女三人での小旅行を計画してた。ちょっと高級な旅館でゆっくり温泉に入り、美味しい食事とお酒を楽しむ予定だった。初の母娘旅行。だけど、旅行はコロナのせいで決行されることはなかった。
もう少し早くに旅行に行けばよかった。
もっと母の話を聴いてあげればよかった。
もっともっともっと会いに行けばよかった。
私の名前はわからなくても、自分の名前と生年月日だけはわかっていた母が、それすらも答えられなくなっている。
今日はあなたが生まれた日。本当は子どもたちや孫たちが集まって盛大にお祝いしたかったね。どこか暖かなところに旅行したかったね。
でも、生きていてくれてありがとうね、お母さん。
今日は3月8日だよ。
80歳おめでとう