その道のスペシャリストが云うことには




息子は元気に飛び立って行った。この先、新しい職場でもいろんなことがあるだろう。だけど、あそこまでのパワハラは無いと思うな。なぜなら、君が向かった場所には、あの二人はいないからね。



あの二人って、どんな人?



私は、息子の足元を見て、きっと大丈夫だと思った。これから君が向かう場所は、これまでいた場所よりも、ずっと良い場所に違いない。きっと大丈夫だよ。




だって、君は。




・・・




「おしゃれは足元から」とか、「ファッションでお金をかけるべきは靴」なんて言葉をよく耳にする。確かにどんなに素敵な洋服を着ても、靴が汚れていたり、くたびれていたら台無しだ。


 

今でこそ、長く歩いても足が痛くならない靴と巡り合えたからいいものの、私は靴では随分と悩んできた。出会えた靴が自分の足にぴったりで、尚且つそれが素敵な靴だったら、本当に幸せな気持ちになる。
  



息子が医師から休職が必要だと告げられた帰り、二人で百貨店をぶらぶらした。必要な買物を済ませ、そろそろ帰ろうかとなったとき、あるブランド店を覗きたいと息子が言い出した。



身体は疲弊しきってるけど、久しぶりの買物はワクワクして疲れるどころか元気になってきたと言う。そうか。素敵なモノを見るのは目の保養になるし、気分もアガるよね。ちょっと緊張しながらお店に足を踏み入れると、ひとりの男性店員が微笑みながら近づいてきた。
   


いらっしゃいませ
 


息子は前々から欲しいと思ってたという商品をいくつか見せてもらったあと、突然「おーー!」と言って、ある商品が並んでいる棚に向かってスタスタと歩いていった。息子が指差した先にあったのは、スニーカー。鞄やアクセサリーと同じように、そこにはスニーカーが綺麗にディスプレイされていた。



そのブランドに、靴のイメージを持っていなかった私は思わず呟いてしまった。



え?靴?いったいいくらするの?



さっきからずっとそばにいる爽やかな店員が笑顔でこう言った。



実を言いますと、わたくし、靴のスペシャリストなんです



・・・




自らを靴のスペシャリストと名乗った男性は、今まで一万人以上の足を見てきたことなどを話し始めた。靴の話になると、つい興奮して話が長くなってしまうことを詫びながら、話は止まらない。でも、靴のスペシャリストの話はとても興味深くて、どんどんと引き込まれていった。



靴のスペシャリストによると、このブランドのいちばんのおススメは、実は靴であると言う。このブランドの靴職人は本当に素晴らしい技術を持っているそうだ。欧州で靴職人からも様々な事を学んだという靴のスペシャリストは、靴の素人の私でも理解しやすい話を選んで話してくれた。



私が靴職人と聞いて思い出したのは、元横綱の長男が靴職人と言うことくらいだ。そんな話題も交えつつ、靴のスペシャリストは、私たちに少しでも多くの靴情報を伝えようとしてくれていた。



若干の扁平足で、部活中に何度も怪我をした息子の脚の形は少し変わっている。高校時代には整形外科で革製の靴の中敷きを作成したこともある。たかだか中敷きなのに、靴が一足買えるようなお値段だった。でも、その中敷きを入れた靴を履くと、怪我をした脚の痛みも軽減するし、何と言っても姿勢が良くなった。



足の指一本怪我をしただけでも、歩行は悪くなる。歩行が悪くなると、膝や腰にまで影響が出る。そう考えると、人間一人を支えるにはあまりにも小さすぎにも思える「足」をガードする「靴」の存在が、とっても重要であるということは、靴のスペシャリストでは無い私でもわかることだ。



息子の歩き方はちょっと特徴がある。歩くときに、少しばかり左右に横揺れするのだ。そのせいか、靴底の減り方も特徴がある。



靴のスペシャリストは、息子の膝から足指までを触りながら、うんうん、うんうんと頷いている。そして、その特徴ある息子の歩き方を言い当てた後、靴のスペシャリストはにっこり笑ってこう言った。

















お客様の足にぴったりの靴はこちらです

🎀わたしと🎀あなたと🎀大切な人を🎀守るためにできること🎀



転勤族の我が家には終の住処問題があります。地元に持っていたマンションは数年前に売却しました。この先、賃貸が良いのか持ち家が良いのか。10年後、義母や両親はどうなってるのか。私たち夫婦は健康か。そもそも、どこの土地を終の住処とするのか。現在の家が終の住処では無いということ以外、今はまだ決めることが出来ないでいます。





タイトルに惹かれて読んだこの本。ところが、内容は想像とは違い「おっぱいマンション物語」でした。マンションの最上階が、そのデザインにより、おっぱいの形に見えるマンション。そこに関わる人たちの物語。本を読み終えるまで、私の脳内は、ファビュラスなお姉様のおっぱいでいっぱいになりました…。



・・・



だから、と言う訳では無いですが、ここからおっぱいの話です。息子二人を完全母乳で育てた私は、何と述べ四年半もの長い間おっぱいを出しました。授乳後に搾乳してもたくさんおっぱいが出ました。時に、自分一人で大きくなった顔をする息子たちですが、彼らの身体の一部は私のおっぱいで出来ていることは間違いの無い事実です。笑



おっぱいは、乳腺で作られます。その乳腺にできる悪性腫瘍乳がんです。私は授乳中に何度も乳腺炎になりました。その部分がしこりとなって残っていたため、30代から乳がん検診を受けています。医師から呼び出されたこともあります。



慌てて病院へ行くと、医師が神妙な顔をしています。しこりがある左胸の影が気になるので、もう一度診察したいとのこと。丁寧に触診を終え、エコー画像を見ながら医師は言いました。



今回は問題ないようです。でも、年に一度、必ず乳がん検診を受けてください。



・・・


それ以降、乳がん検診だけは毎年必ず受けています。現在通う乳腺外科医に勧められ、組織検査も行いました。生検の結果が出るまではドキドキでした。診察日、診察室へ入るやいなや、医師は言いました。



良かったね!大丈夫でしたよ!




それからは半年毎に検査をしました。マンモグラフィーエコー触診です。40代だった私は生理前になるとがパンパンに張りました。妹は妊娠もしていないのに乳腺炎になりました。親子や姉妹の乳腺はとても似ているのだそうです。




血縁者に乳がん罹患者が複数人いたアンジェリーナジョリーが、予防のために乳房切除乳房再建手術を行ったことは、大きく報じられ、私も衝撃を受けました。



・・・



半年毎の乳がん検診を5年程続けた頃、医師から今後は一年に一度の検診にしましょうと言われました。忘れない様にと誕生月に乳がん検診を受けることにしています。今や、日本人女性の11人に1人が乳がんにかかると言われているのです。同級生や知人、妹や友だちの知り合いなんかを含めると何人もの人が罹患しています。それなのに、乳がん検診を受けた事がない人が多いんですよね…。




毎年、一万人以上もの人が乳がんで亡くなってるんだよ。今日の検査で異常が無くて、万が一、明日腫瘍が出来たとしても、一年後に検査をすればまだ手遅れと言うことにまではならないよ。だから年に一度の検診が重要なんだ。後悔しないためにね。




医師はそう言いながら、私の触診を済ませて言いました。先生!私、この言葉を聞きたくて来たんです。








今年も合格です!



・・・



乳がんは、女性ホルモンが影響しています。閉経が遅かった私はリスクが高かったので、閉経してホッとしました。ですが、閉経前後での乳がんの発症率はあまり変わらないよと医師が言うのです。罹患者数のピークは40代のイメージでしたが、いちばん高い年代は何と60代なのです!





60代って言ったら、まだ現役だよね。だから検査が重要なんだよ。早期発見が本当に大切なんだ。





わたしのおっぱいを守るため
あなたのおっぱいを守るため
あなたの大切な人を守るため





乳がんから自分自身を守るために





一年に一度、乳がん検診に行こう!
パートナーやお母さんや、お姉ちゃんや妹や、友だちに乳がん検診をすすめよう!












🎀10月はピンクリボン月間🎀

縁切榎におねがいー参拝三ヶ月後の晴れた日にー


 


過重労働と上司二人からのパワハラでダウンした息子が会社を休む事になったのは、今から三ヶ月と少し前のこと。ズタボロだった身体は、若さもあってか、たっぷりの休養と栄養であっという間に回復した。若いって凄い。若さって素晴らしい。



休職してまもなく、息子は考えに考えた末、パワハラ報告書なるものを会社の社労士へと提出した。ダイニングテーブルに無造作に置かれたその書類をチラ見したところ、事実確認の他に「今後このようなことは他の誰にもしてほしくない」と、殴り書きしてあった。



自分を追い詰めた張本人たちに懲罰をあたえて欲しいとか、謝罪を求める、と言う項目にチェックは無く、私は拍子抜けした。なんだ随分男気があるじゃないか、ちょっとカッコつけ過ぎじゃないかと思ったけど、私が口を挟むことじゃない。



パワハラ調査で重要なのは、当事者二人よりも第三者の意見だと言うことは夫から聞いていた。だから、直ぐに社労士から事実確認があり、社内調査が行われるものだと思っていた。



けれども、待てど暮らせど社労士からは何の連絡も無い。もとい、たった一度だけメールがあったようだ。



ーこの診断書では、傷病手当が支給されないかもしれませんー



・・・



かかりつけ医の診断書に書かれていたのは病名ではなく、いくつもの症状だった。息子には様々な身体症状はあったものの、幸いにしてメンタルを病んではおらず、安易に病名をつけることはしないと医師は言った。



二週間に一度の病院受診で貰った診断書を提出して会社を休む生活は、気がつけばそろそ三ヶ月になろうとしていた。パワハラ上司と縁を切るべく縁切榎参拝した日から三ヶ月だ。参拝時に夏の始まりだった季節は既に秋へと移り変わっている。



息子と縁切榎に行った四日後には




この三ヶ月間、私たちに見せていた言葉や態度とは裏腹にひとり悩んだであろう息子は、体調を整えながら色んな人に会っていた。自分自身を見つめ、自分はこれからどうすべきなのか、自分は何をしたいのか。昔からの友だちやお世話になった先生方、先輩や人生のベテランと呼ばれる人たちに会っていた。
 



親の私がしたことと言えば、美味しいご飯を作って食べさせたことぐらいだ。あとは普段と同じようにくだらない話をして笑っていただけ。




そんな日々の中、息子はよく食べ、よく眠り、よく遊んでいた。久しぶりに再開したジム通いのせいもあり、休職し始めた頃より身体は逞しくなっていた。相変わらず社労士からは何の連絡もない。時々、イラついたり思い悩むような表情を見せることもあったけど、ある日スッキリとした顔で息子はこう言った。




決めたよ。今の会社辞めることにした。



・・・



息子は、会社を退職した。縁切榎参拝後、きっかり三ヶ月後に「一身上の都合により退職」をした。息子と親しくしている同僚と数人の先輩以外、息子が退職することになった本当の理由を知る人はいない。




ましてや、パワハラをした張本人たちは、自分たちが息子の退職の原因になったとは1ミリ足りとも気がついていないようだ。(今までにも何人もの人にパワハラをしてきたのに)息子の安否を心配する人たちには「彼は心の病気で休んでいます」と答えていることを同僚から聞いた息子は大爆笑していた。私は納得がいかなかったけれど。



 

もう、いいよ。あの二人は置いといて、オレは会社も仕事も好きなんだよ。とにかく早く働きたい。早く仕事がしたいんだよ。






パワハラ問題は解決されるどころか、その事実確認すら行われることは無く闇に葬られた。これでは仕事に復帰することは難しい。選ぶ道はひとつしかない。とても残念なことだけど、見方を変えればとてもラッキーなことかもしれない。この前見た、マッチに書かれていた言葉の話をすると、息子は驚きもしなかった。さすがは三年間仏教を学んだだけのことはある…苦笑。



マッチに書かれていた言葉とは




そうだよ。何事も最期にならないとわからないんだよ。だから、これでいいんだよ。



・・・



そんな中、息子は同業他社の社長からうちで働かないかと声をかけられていた。他にもいくつか良い話を頂いていたようだ。休職中、息子は何度も話を聞きに足を運んでいた。その足取りはなんだか不思議と軽やかだった。




縁切榎参拝三ヶ月後の晴れた日に息子は会社を退職した。終わって見れば、何一つ揉めることなく、実にスムーズな退職だった。




そして、息子は飛び立っていった。秋なのに夏みたいに晴れた日に大空へと飛び立っていった。特大サイズのスーツケースが重すぎるからと、空港まで車で送った私たちにある言葉を残して飛び立っていった。とびきりの笑顔で、手を振って。





危なかった。ほんと、危なかったよ…。

まさか、君がそんなこと言うなんてさ。














色々ありがと。ひとまず、今までお世話になりましたっ!

現在・過去・未来




今の自分は、過去の積み重ねでできていると思っていた。今、自分を誇らしく思えるのは、これまでの努力や頑張りのおかげ。今、情け無い自分に思えてしまうのは、これまでの失敗や消したい過去を悔やむからだろう。




何かにつけて、起こったことの原因を突き止めようとして、なぜ?どうして?と自分を責めたり後悔を繰り返す。過去は変えられないのに。





ー起こってしまったことは仕方がないのさー





義母の名言のひとつだ。どんなことも、起きてしまったことはどうしようもない。でも、そこで立ち止まらずに、良い面を見て前向きに考えること。それしか無いと義母は言う。





こんな義母に私もなりたい





先日のこと。私が夏海のお墓参りに行く為に蝋燭やお線香の準備をしながらライターを探していると、義母が御仏壇を指差して言った。




あのマッチを持っていきなさい。お父さんの三回忌の時にお寺さんが持ってきたのがあるから。



そのマッチに書かれていたのは、浄土真宗 真宗大谷派の名僧藤城聡麿(ふじしろ としまろ)さんの御言葉だった。

 



え?これまでが これからを 決めるじゃないの?






これまでにあった善いことも
これまでにあった嫌なことも
これまで起こった全てに於て






変えられない出来事までもが


これからの私の生き方次第で






















その意味は大きく変わる

白い蝶々








空が青い。そして暑い。黒いワンピースの背中には容赦なく太陽が照りつけている。背中から肩の辺りがジリジリと焼けるような感覚だ。首を触るとネックレスが汗で濡れていた。ハンカチで汗を拭う。それにしても暑い。だけど、関東の暑さとは違って爽やかだ。私は日陰になる道を探して目的地へと歩いていた。




本当なら七月に来る予定だった。沙織と一緒に来る予定だった。それなのに、私がコロナ陽性になってしまったのだ。だから今日はひとりでやってきた。




私は、最寄りの駅からではなく少し離れたところから歩いていた。歩きながら頭の中を整理したかった。太陽に背中を炙られながら、考えていた。彼女に会ったら何を話そうか。まず何から伝えようか。そもそも第一声は何と声をかけようか。彼女に会うのは実に三年ぶり。色々聞きたいことがたくさんあった。




   





静かだった。そこには私しかいない。誰かが来る気配も感じられない。横倒しになっている缶コーヒーや缶ビール。今日は数日前の嵐が嘘みたいな好天だ。彼女はまだ現れない。当たり前だよね。だって今日は会う約束なんてしていなかった。私が勝手に会いにきただけなんだから。




私は、周りに誰もいないことをいいことに、一人で話しはじめていた。



•••



夏海、今日は暑いね。暑くない?私はめっちゃ暑いよ。咽喉が乾くよね。水持ってきたよ。こんなに陽射し浴びたらさ、またシミが濃くなるよ。夏海はシミのない綺麗な肌してるよね。ほんと綺麗。私のシミ見てみるかい?じゃ、マスク外すね。笑 ほら、前に夏海に指摘されたほっぺたのシミが、こんなに濃くなったよ。もうね、他にも身体はボロボロさ。まぁ、歳取ったってことだよね。


会うのは三年ぶりだね。沙織と私で夏海の誕生日祝いをしたあの日以来だよね。あの時はさ、これからいくらでも会えると思ってた。またまだ一緒に飲めると思ってた。いっぱい遊ぶことが出来ると思ってたよ。


これから沙織と会う時には、必ず夏海の話をするよ。いっぱい、いっぱいするからね。



•••



私がそう言い終わったとき、供えた花の一本がゆっくりと頷いた。風が吹いてきて、ただ揺れただけなのかもしれないけど、その花はゆっくりと元に戻っていた。私にはまるで夏海が返事をしたように見えた。




すると、今度はどこからともなく蝶々が飛んできた。白い蝶々。モンシロチョウだ。私の横でモンシロチョウはヒラヒラと舞っている。ゆっくりと、くるくると。私はそのモンシロチョウを見た瞬間、鳥肌がたった。





夏海だ。夏海が私に会いにきた。夏海がモンシロチョウの姿をして会いに来てくれた。そう確信した。私は、自分のどこからそんな声が出たのかと思うような大きな声をあげて泣いていた。








夏海、どうしていなくなっちゃったの。









どれくらい時間が経っただろう。私は、左右対象にゆらゆらと揺らめく蝋燭の炎をぼんやりと見つめていた。夏海だ。あのモンシロチョウは絶対に夏海だ。

 


随分前に歳上の友だちから聞いたことがある。墓地に現れる蝶々はご先祖様の化身だと。そして、亡くなられたばかりのご先祖様はモンシロチョウだと。蝶々は神の使いとして『あの世とこの世をつないで生命を運ぶ存在』として考えられているのだと。




身体から力が抜けていた。その場を去るのが名残惜しかった。ずっとそこにいたかった。私は、呼吸を整え、姿勢を正して、しっかりと合掌した。





また会いに来るから。




夏海は、生きている。











同じ空、違う世界で生きている

時間よ止まれ

この日のことを

 






私はいつかきっと思い出す
目を細めながら空を見上げ
  



あの日は暑かったね
そう言って懐かしむ

 


あの頃はまだ若かったけれど
私達も結構な歳になったよね






三十年連れ添った夫と
大空へと放ったタオル











これ以上、歳を取りたくないよ
このまま、時間が止まればいい





でも、それはちょっと違うんだ



 

この目で、
この耳で、





全身全霊で、





受け取ったメッセージ




年とるってのは細胞が老けることであって魂が老けることじゃない



























そこんとこ、ヨロシク。

その本は




その本は、書店を入ってすぐの場所にありました。



その本は、書店のイチオシとして並んでいました。



その本は、何となく手に取りたくなるような本でした。



その本は、結構な分厚さなのにサクサク読める本でした。



その本は、くすっと笑える本でした。



その本は、読むと子どもの頃を思い出しました。



その本は、読むと少し胸がじん…となりました。







その本は、絵本作家とお笑い芸人の本でした。













その本は、読んだ後こんな気持ちになりました。






 











PEACE